このタイトルに、私と同年代以上の方は「恐怖の味噌汁」という怖い(?)話を思い出したかもしれない。あるいは出来の悪い怪談か三流サスペンスドラマを連想したかもしれない。しかし、これから私がお話しすることは、わが家で実際に起きた紛れもない事実、脚色なしの戦慄のノンフィクションなのである。
それはちょうど4年前の10月のこと。当時仕事でいつも帰りが遅かった私が、虫が知らせたのかその日に限って早く帰宅して雅恵と夕食をともにしていた。夕食が終わったころに雅恵がふとつぶやいた。
「お義母さん、だいぶ前にお風呂に入ったまま出てないみたいだけど大丈夫かしら。心配だからあなた見てきて」
私は気にも留めていなかったが、そう言われて見に行ったところが修羅場だった。入浴中に呼吸が苦しくなった母が、脱衣場まではい出して素肌にパジャマを羽織った状態で倒れ、息も絶え絶えにうめき苦しんでいたのだ。すぐさま救急車を呼んで一命を取りとめたが、雅恵が気付いてくれなかったら大事に至っていたかもしれなかった。
母は80歳を超えたころから急に衰えが目立ち始め、その年の夏の暑さがこたえたのか秋風が吹くころにはめっきり弱っていた。少し歩くと息が上がり、外出しなくなって足腰が弱る。そんな悪循環に陥り、そして遂に入浴中に倒れたのだった。
救急搬送先が心臓の専門病院だったのは、きっと救急隊員の機転だったと思う。おかげでそのまま専門医に診てもらい、2週間足らずで退院できたのは不幸中の幸いだった。医者からは、もう普通に生活して心配ないと言ってもらえた。
ところがである。普通の生活どころか、母は退院してから全く自分の身の回りのことができなくなった。それまでかろうじて自分でしていた食事の用意も部屋の掃除も洗濯も、何ひとつできなくなった。それどころか、風呂場で倒れたのがトラウマになったらしく、入浴すら一人でできなくなった。医者の言葉とのギャップに大いに戸惑ったが、母はどうやら精神的ダメージが大きく、全てに後ろ向きになっているように思えた。このままだと早晩寝たきりになるのではないか…。
予想外の事態に、雅恵は母の身の回りの世話を一身に引き受けながらも、介護保険事業所に勤めているその知識を活かして機敏に動いた。すぐさま母に介護認定を受けさせ、1日1食は配食サービスを利用し、デイサービスに通わせ、週に1回ヘルパーさんに来てもらって入浴介助をお願いした。
おかげで母は寝たきりになる危機を脱したが、その後の母の状態はといえば、家族が期待するほど思うようには上向かなかった。年寄りだから仕方ないと思う反面、甘えているのではないかと疑うことも正直あった。冬の寒い時期と重なったこともあり、自分からは一歩も外へ出たがらない日が半年近く続いた。
そんなある日、雅恵がふとつぶやく。
「お義母さん、もしかして喘息(ぜんそく)なんじゃない?」
まさか。喘息は全く思い当たらない。私の年代は喘息と言えば四日市喘息のイメージが強すぎるのか、まさかそれはないと思った。本人に聞くと、確かに夜中にせき込んで苦しいことはよくあるという。しかし日中はあまりそんなそぶりは見せない。でも雅恵がインターネットで喘息の治療で評判の医者を近くで見つけてくれたので、念のため受診させることにした。
受診の結果は ―― まさか、だった。心臓発作で救急搬送されたと本人も私も救急隊員も病院の医師も誰もが疑わなかったが、実は喘息の発作による呼吸困難だったのだ。
こうしてやっと正しい診断が下って喘息の治療を始めた結果、母の病状はみるみる快方に向かった。1か月もすると、近所のスーパーにカートを押しながらゆっくり歩いて一人で買い物に行けるようになった。庭に出て好きな土いじりもぼちぼちするようになっていた。
が、しかし、母の喘息はそこからがしつこかった。それから3年半が経っても、わずかな坂道でもすぐに息が切れ、階段は数段上ったら少し休まなければ上れない状態がずっと続いていた。結局「普通の生活」は夢のまた夢。もう使うこともないであろう市営交通の敬老パスを、母が今年も負担金を払ってまで受け取ったと知ると不びんでならなかった。
そんなある日、突如予期せぬ転機が訪れた。
母は70代のころから緑内障で眼科に通っている。先月上旬、いつもの眼科へいつものように行ったところ、どこの風の吹き回しか眼科の先生が珍しく母に体調を尋ねてくれた。それは診療の一環なのか、それとも単なる世間話だったのかは定かでない。
先生「最近、体調はいかがですか?」
母 「おかげさまで多少は良くなってますけど、私、喘息があるので少し歩くと相変わらず苦しくって困りますわ」
先生「えっ、喘息があるの? それはいけませんね。この目薬、喘息の人には良くないんですよ。それじゃあ他のに替えときますね」
先生が言われたことの重大性を、この時点で母が知るよしもなかった。
それからわずか3日後、母が私にこう言った。
「気のせいかもしれないけど、目薬を替えてもらってからすごく楽になった気がするわ」
正直この時は、年寄りの言うことと思って話半分で聞いていた。
それから半月後に母に尋ねると、あれから確かに楽になってあまり息が切れることもなくなったと言う。気のせいではなかったのだ。驚いて、母にこれまで処方されていた目薬についてインターネットで調べてみた。
「コソプト配合点眼液」
専門的には「炭酸脱水酵素阻害剤」と「β遮断薬」を配合したものという。このうちβ遮断薬が眼圧を下げて緑内障の悪化を防ぐ薬なのだが、β遮断薬について調べてみると副作用の項に次のような記述がある。
■全身に対する副作用
頻度は稀だが、気管支喘息や気管支の痙攣、動悸や不整脈などがあらわれる場合がある。(日経メディカルから抜粋)
目を疑った。信じられない思いだった。この間、母を苦しめ続けた喘息の原因が、この目薬だったということか。このせいで4年前には「いまわのきわ」まで行ったということか。
たかが目薬。されどその目薬が、血流にのって全身に作用をもたらすなどとは一般人は思いもしない。しかもその結果、喘息の発作を引き起こして呼吸困難に陥るなどとは想像もできない。よく調べたら死亡事例も報告されているという。こんな恐ろしい薬がなぜ母に処方されていたのか。
しかし、さらによく調べると、緑内障の悪化を防ぐ薬としてはβ遮断薬と呼ばれるこの手の薬が一般的らしい。昨今、緑内障の罹患率はかなり高くて、そのありふれた病気に普通に投与される薬がこんな劇薬とはいったい・・・いや待てよ、ということはもしや‥。
実はこの私も、40代の前半から緑内障の所見があって目薬を出してもらっている。母とは違う薬だが念のため調べてみると・・・なんと! 同じくβ遮断薬で喘息発作の副作用があることが判明した。私自身そんな恐ろしい薬とはつゆ知らずに長い間使用していた。医者からも薬剤師からも一度も注意喚起はなかったように思う。調剤薬局でもらう薬の説明書きを見てみたが、喘息どころか副作用についての記載は一切なかった。
もっとも私自身は特に身体に不調はないし、日経メディカルにも「頻度は稀だが‥」とことわりがあるように、母のようなケースはきっと極めてレアに違いない。そう思っていた。
先日、母が喘息で受診している呼吸器内科に付き添ったときのこと。目薬の件を伝えたが、先生は「あっ、そうですか」と言っただけでなぜか関心がない様子。症状が大幅に改善したと言っているのに、「では、いつものお薬を出しておきますから」と、会話がかみ合っていない。
診察が終わって会計を待っていると、看護師がフォローしようと思ったのか歩み寄ってきて、この件でふたことみこと言葉を交わした。その時に発した言葉に思わず愕然とした。
「ご高齢の方で緑内障があると、こういうケースは時々あるんですよ」
時々あるのなら、どうして喘息の治療で評判の先生が気付いてくれなかったのか。眼科医も、院外処方の薬剤師も、一般的とはいえそんな危険な薬を高齢者に処方しておきながら、なぜこれまで誰もチェックしてくれなかったのか。母にとって苦しみぬいたこの4年はいったい何だったのか。空白の4年だったのか。この間、雅恵には随分苦労をかけたし、姉にもたくさん世話になった。そう思うと震えるような怒りを覚えた。一緒に暮らしていても母の喘息に気付いてもあげられなかったこの私が言うのもおこがましい話で、全くのお門違いと思いつつ‥。
それにしても、こうしてあらためて経緯をたどると、雅恵には本当に頭が下がるというか感謝しかない。
おかげさまで再来年には、母はこれまでよりも元気になって米寿を迎えられそうである。
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