次に、わが家の失敗例を紹介しよう。本当は失敗例の方が参考になると思うが、残念ながら失敗例は少ししかない(←失敗例でもまだ自慢している)。
《 失敗例 》
■ 間取りの失敗 -既成概念にとらわれるな-
わが家の北側はバス通りが近いため騒音が気になる。だから当然のこと、寝室は南側と考えて何の迷いもなかった。
完成して住んでみて驚いた。高気密・高断熱の家の窓は全てペアガラスで、このペアガラスというやつが、肝心の断熱性能はイマイチ物足らないけれど、遮音性は抜群なのだ。締め切っていると家の中は静かで外の音はほとんど聞こえない。こんなに静かなら、寝室は南側にこだわる必要はなかった。
ところで、わが家の敷地は南側が公道に面しているので玄関は南側にある。つまり2階の寝室の真下に玄関があることになる。わが家は私の母と同居しており、年寄りは朝が早いため私たちがまだ寝ている時間に起きて玄関を開けて新聞を取りに行く。このため、玄関のドアの開閉音で目が覚めてしまうのだ。
このシリーズの第6回で書いたように、あれほど間取りをあれこれ練り上げたにもかかわらず、寝室は南側と決め付けていたがための失敗だった。
■ なんちゃってコートダジュール
私の場合、家の機能や間取りに徹底的にこだわった次の段階で、今度は外観にこだわった。外観なんてどうでもいいとおっしゃる太っ腹の御仁もあろうが、やはり自分の家に対する愛着という点で外観は重要な要素だ。ちなみに、内装はこだわったところで見せるほどの来客もないが、外観は道行く人みんなの目に触れる(←ただの見栄っ張り)。
そこで私が考えたのは、外観だけ「南欧風」にならないか、ということ。輸入住宅を手がけている業者のパンフレットやサイトを見ると「南欧風」というカテゴリーがあって、その中には「プロヴァンス」とか「コートダジュール」とかいう商品名でお洒落な家がたくさん掲載されている。
その真似っ子をしようとして、あえなく失敗したのが写真のとおりのわが家である。そもそも躯体が在来工法なので、表面だけ塗ったり貼ったりパーツを取り替えたりしたところで限界がある。いくら日本人の顔に化粧して金髪に染めたところで、所詮は顔立ちが違うので欧米人の顔にはならないのと同じことだろう。
ところで他人がどう言おうと関係ないが、同居している私の母から、「あそこのカラオケ屋さんみたいだねえ」と言われたときは、心底ガッカリした。他人じゃないだけに「ほっとけ!」とも言えないし‥。
ちなみに、右の写真が母が言うところの「あそこのカラオケ屋さん」。別にちっとも似てないし! プン、プン。
■ 狭いベランダ
これも私が「南欧風」にこだわったがための失敗である。一般に、本格的南欧住宅にベランダはない。あるとすると屋根のないバルコニーだが、雨の多い日本では、洗濯物を干すにしても屋根のあるベランダの方が実用性が高い。そこで、外観に配慮してなるべく小さめのベランダを付けてもらった。
出来上がってみると、エアコンの室外機が場どって予想以上に狭かった。雅恵は小柄なのでそんなに不便じゃないと言ってくれるが、たまに私が洗濯物を干すと、あちこちに身体をぶつけて窮屈で仕方ない。
■ 庇(ひさし)のない屋根と縦滑り窓
わが家の窓には「縦滑り」が多数採用されている。伝統的な「引き違い」は全開にしても半分しか開かないのに対し、縦滑りはほぼ全開になる(右の写真)。さらには全開にしたガラス部分に当たった風を導き入れるので、採風性にも優れるとされる。風通しを悪化させずに劇的に窓を小さくでき、さらには気密性にも優れているとなれば、高気密・高断熱と風通しの二兎を追う者にとって願ったりかなったりの窓だ。私が建てた当時はまだそれほど一般的でなかったと思うが、最近ではこの窓が主流になってきているらしい。
ところがである。私が「南欧風」にこだわったばっかりに、わが家の屋根には庇(ひさし)がない。庇がないと縦滑り窓は結構悲惨である。写真から想像していただければ分かるとおり、窓を開けているときに急に雨が降ると悲しいことになる。小雨がパラついた程度でも、窓の内側がベタベタに濡れてしまうのだ。小さな窓が沢山あるから余計に閉めるのが大変である。住んでから気づくことって、結構多い。
■ 業者とのトラブル
本題から少し外れるし不愉快なのでやめようかとも思ったが、失敗例としては貴重な経験なので簡単に触れる。
ようやく業者が決まり、正式に契約を交わして着工した直後のことだった。担当の営業マンと現場監督がつるんで、現場の施工でいきなり不正をやらかしてくれた。不正の内容は特殊な事例なので省略するが、隣家の人が気づいて私のケータイに連絡をくれて発覚した。施主は建築現場を常時監視しているわけではないので、互いの信頼関係の上に契約は成り立っている。その信頼関係をしょっぱなから踏みにじる行為に私は激高し、すぐさま営業マンを呼びつけて怒鳴り倒した。
今にして思えば、このとき上司を呼んで担当者を変えてもらうべきだった。私に怒鳴りつけられた営業マンは、その後次第に私を避けるようになる。居留守を使い、仮病を使い、しまいにはケータイの電源を切って1か月間音信不通にさえなった。これでは楽しいはずの家づくりが、楽しいはずもなかった。
■ 業者の倒産
不愉快な話の後の、最後のオチはこれだ。もっとも、私の場合は倒産といっても引渡しの1年半後の話なので実害はなかった。とはいえ、10年間は毎年無料点検してくれるはずだったのが反古(ほご)になった。このことについては次回詳しく触れることにする。
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