初冬のある日の昼下がり、地下鉄上前津駅を降り立った私は、地上に出て上前津交差点を通りかかったところで、そこにあるべきものがなくなっていることに気付いてハッとした。しばしその場にたたずみ感傷に浸りたい衝動を覚えたが、人と一緒だったのでかなわずその場を通り過ぎた。
上前津交差点南東角、旧セントラルファイナンス本社ビル。
それは私が18歳で社会への第一歩を踏み出した記念すべき場所であると同時に、全く別な意味で、人生の荒波へと漕ぎ出す私の背中を押してくれた場所だったかもしれない。
それは偶然の出会いだった。当時そのビルの1階には東海銀行が、5階から7階に私が勤める(株)セントラルファイナンスが、そして3階か4階に日本育英会が入っていたと記憶している。どこのビルでもそうであるように、1階のエレベーターホールの壁には各階のテナントを表示するプレートがあった。毎朝出勤するたびに、エレベーターを待ちながら否応なくプレートの文字が目に入る。経済的理由で大学進学を断念し18歳でサラリーマンとなった私にとって、「日本育英会」の文字を見て何かを感じないはずがなかった。来る日もまた来る日も、プレートに目をやるたびにその文字は、若い私の心に何かを語りかけてくるようだった。
それから2年。一度はキッパリ諦めたはずの大学進学を目指して、私は会社を辞めて予備校に通う決心をしていた。2年間の会社勤めで貯めたわずかばかりの貯金と、同じくすずめの涙ほどの奨学金をたのみに。
まだ終身雇用制が当たり前だった時代に、せっかく就職した上場企業、将来有望と目されていた伸び盛りの優良企業を辞めて、いまさら受かるかどうかもわからない大学を目指して、首尾よく受かったとしても経済的に行き詰まって卒業までたどり着けないかもしれない苦学の道へと、自ら望んで、悲壮な覚悟で歩み始めた。
それはきっと私の中の若くて熱い何かが、私の心を突き動かしたからに違いない。それを手招きしてくれたのが、あのビルで出会った「日本育英会」のプレートだった。そこはまぎれもなく私の人生の原点、スタート地点だった。
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