昼休みにいつものようにウェブのニュースをチェックしていて、あまり見たくない記事を無意識にクリックしてしまった。
児童虐待の関係の仕事から離れた今もなお、連日のように報道されるその手のニュースや関連のニュースにどうしても目がいってしまう。読めば決まって気分が沈み、落ち込んだり憂鬱になったり。なのに、また読んでしまった‥。
子育てシェアハウス。シェアハウスに住んでいた女性が結婚しても夫婦でシェアハウスに住み続け、さらには妊娠したのを機に、このままシェアハウスに住んで仲間と「育児のシェア」をしようと計画している。記事を書いたのは朝日新聞の記者で、この取り組みを紹介した記事に100件を超すコメントが寄せられたが、その大半が記事に批判的な内容だったという。
「事故があった時の責任は?」
「自分たちだけで育児ができないなら子どもを作るなと思う」
「子育ては夫婦が作るその家庭の価値観の中で行うべきでは?」
「大人都合の『実験』に巻き込まれる子供が可哀想」
「仕事をしている独身男女が赤の他人の乳幼児の泣き声に耐え続けられるとは思えない」
「みんな育児未経験だったら無理だと思う」
「他人を安易に頼りにする危機感のなさと図々しさに心底呆れる」
「親の代わりに同居人をタダ働きさせようという考えではないか」
このような激しい言葉がずらりと並んだことは記者としてもかなり意外で困惑している様子がありありだが、私はといえば、読み進むうちに胃がムカムカしてきた。それが怒りなのか悲しみなのか、いら立ちなのか焦りなのか‥。心の中で、思わず一つ一つに反論している自分がいた。
「事故があった時の責任は?」
→ そんなの誰のせいでもないから心配しなくていいんだ。
「自分たちだけで育児ができないなら子どもを作るなと思う」
→ そんなこと言ってたら誰も子どもをつくれないよ。
「子育ては夫婦が作るその家庭の価値観の中で行うべきでは?」
→ 世の中にはいろいろな価値観の人がいるんだから、子どもが育つ過程で大勢の人と関わることが大事なんだ。あなたのような「純粋培養」的な考え方だと、子どもが大きくなってから子ども自身が一番苦しむよ。そもそも子どもは親の所有物じゃないしね。あなたも子どものころ、親の価値観を押し付けられることに反発しなかったかい?
「大人都合の『実験』に巻き込まれる子供が可哀想」
→ 今の子どもはみんな大人の都合に振り回されて可愛そうかもね。でも、大勢の大人に囲まれて育つことは、子どもにとってはいいことだと思うよ。
「仕事をしている独身男女が赤の他人の乳幼児の泣き声に耐え続けられるとは思えない」
→ 確かに難しいかもね。でも、シェアハウスのほかの仲間にとっても、得難い経験だと思うね。
「みんな育児未経験だったら無理だと思う」
→ 心配する気持ちはわかるけど、そんなこと言ったら育児未経験の両親だけではもっと無理じゃん。
「他人を安易に頼りにする危機感のなさと図々しさに心底呆れる」
→ この親は「他人を頼りにするしかない」って事に出産前に気づいたんだから、その意味ではとっても危機感があると思う。若いのにエラいと思うね。
「親の代わりに同居人をタダ働きさせようという考えではないか」
→ シェアハウスの仲間がみんなそれでいいって言ってんだからいいじゃん。みんないつかは自分も助けてもらう立場だからね。お互い様だよ、世の中は。
これだけ考え方が違うと気持ちがいいでしょ。子育てシェアハウスが成功するかどうかは私にもわからないけれど、方向性は多分間違っていない。心配する気持ちはわかるけど、批判する理由は見当たらないね。
批判している人たちは、きっとみんな真面目なんだ。でも真面目に考えすぎっていうか、これだから児童虐待は無くならないわけだって、つい思ってしまうよ。もっと肩の力を抜いて、他人に甘えればいいんだよ、お互い様なんだから。
まとめてみると、
■批判コメントから想像される子育て観
・子育ては親の責任なんだから、親が自分たち(だけ)で責任をもってやる覚悟と自覚が必要だ。
・そもそも子育てはそんな甘いもんじゃない。
・自分の親に協力を求めるのはいいが、血のつながりもない他人に協力を求めるなんて筋違いだ。
■私の子育て観
・子育ては親の責任なのは当然だけど、同時に社会の責任でもある。
・人間は太古の昔からコミュニティの中でみんなで助け合って子育てをしてきたのであって、親だけで子育てしたことなんて人類史上一度もない。
・そんな無謀な冒険に夫婦二人で挑まなくても、周りの誰かに助けてもらえばいい。
こんなふうに言うと、「そんなこと言ったって、現実問題として自分たちだけで子育てせざるを得ないんです!」という人がいっぱいいると思う。全くそのとおりで、そこに今の社会の問題がある。でもあとは気持ちの問題で、「自分たちでやらなきゃ」と思か「自分たちだけでは無理だから、少しでも辛くなったらすぐ誰かに助けてもらおう」と思うかで、いざという時の行動が正反対になる。もうお分かりいただけたかもしれないが、前者の考え方の人がいわゆる「虐待予備軍」である。
不幸な児童虐待が少しでもなくなり、子育てで悩み苦しむ親が一人でもいなくなることを願ってやまない。
※一部内容を加除修正しました。(2020.8.22)
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