もらって嬉しいもの。それは人それぞれに違いないが、女性にとって花をプレゼントされるということは、われわれ男性の想像を超えて特別に嬉しいものらしい。
雅恵の誕生日が来るたび思い出す出来事がある。もう、ひと昔も前のこと。雅恵の誕生日は12月なので忘年会の日程とバッティングしやすい。今日は雅恵の誕生日と分かっていても、職場の忘年会と重なれば当然のように飲んで遅く帰ることになる。そもそも12月なんかに生まれてくるヤツが悪い(そう言う私も12月生まれだけれど)。社会人として職場の付き合いは欠かせないのでどうしようもないことだ、と私は思う。
ところが、女というものは、どうもこういう理屈では片付かないらしい。ある年、2年連続で雅恵の誕生日と職場の忘年会が重なった。しかも今度は平日にもかかわらずたまたま雅恵は仕事が休みで家にいたので、余計にご不満の様子だった。朝から家庭内に険悪な空気が流れていた。
普段こういうことにあまり頓着しない私も、遅ればせながら当日家を出てから危機感を募らせた。帰りに何か買って帰ろうか。ダメだ。去年も確かケーキを買って帰ったけれど、まるで効果がなかった。
ここでふと思いついて、宅配の花を注文することにした。当時、仕事の関係で葬儀の供花を電話で注文することがあったので、手元に花屋のカードがあった。電話一本で全国どこでも無料で配達してくれるらしい。今日電話して今日届くという。
しかし、こちとら花をプレゼントするなんてことに慣れたキザな男じゃないので、おっかなビックリ電話した。よく考えたら花束を買うことそれ自体人生初体験なので、いくら出せばどれぐらいのものが買えるのか見当もつかない。試しに「5千円」と言ってみた。「特別高価なものを入れなければ、5千円なら結構立派になりますよ」そう言う花屋の言葉を、あとは信じるしかなかった。雅恵がトルコキキョウが好きだと言っていたのを思い出し、トルコキキョウを混ぜてもらうよう頼んだ。
その晩は予定通り(?)遅い時間に酔っ払って帰宅した。家が近づくにつれ気分が重たくなった。花束の効果に多少は期待しながらも、どうせまだ機嫌が悪いんだろうなと、雅恵の仏頂面を想像していた‥。
玄関を開けると、奥から雅恵が転がるようにして飛び出してきた。
「あんね、あんね、あんね、今日ね、今日ね、今日ね、とってもいい事があったの!」
「えっ? あっ、分かった。星の王子様から誕生日プレゼントが届いたんだ」
「うーん、ちょっと違うかなあ」
「分かった。白馬の王子様だ」
「それもちょっと違うなあ。でもね、でもね、雅恵にとっては、もっとステキな人からプレゼントが届いたの」
完全に目がハートになっていた。あまりの絶大なる効果に、呆れるほど驚いた。なんでも宅配便が来て玄関を開けると、おにいさんが大きな花束を持って立っていたので、思わず「頼んでません」と断ろうとしたという。「こちらの方からです」と渡された伝票に私の名前を見つけ、受け取りのサインをしながら思わずウルウルしそうになったらしい。―― そこで泣いたら宅配便のおにいさんは、「ここの夫婦、きっと訳ありなんだろうなあ」とか思ったに違いない。
それにしても、罪滅ぼしにケーキを買って帰ったときには「フンッ!」ってな感じだったのに、花だとどうしてこうなるのだろう。ケーキと花と、どこがどう違うのか。女心は摩訶不思議。謎は深まるばかりだ。と同時に、内心「しまった」と思った。こんなに効果絶大なら、もっと大事なときのためにとっておくべきだった。長い間の夫婦生活、この先もっと大事な局面があるに違いない。なのに、こんなにも軽々しく「最後の切り札」を切ってしまった私であった。
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