私には子どもがいないので本当のところは分からないが、どうも男親というものは、娘のことが無条件で可愛いらしい。私が子どもの頃、私の父は姉にはいろいろなものを買い与えたが、私は父から何かを買ってもらった記憶がほとんどない。
小学校の低学年の頃、姉がピアノを習いたいとせがんで、ある日突然ピアノがわが家にやってきた。別にインテリ家庭でもなんでもなかったが、両親とも音楽が好きだったようで、もの心ついた時には真空管のステレオがわが家にあった。母の話によれば、父が好きで当時テレビよりも先にステレオを買ったらしい。 そんな父にとって、娘がピアノを習いたいと言い出したときにはきっと嬉しくて嬉しくて、親バカぶりを発揮してピアノを買い与えたに違いない。しかし、姉はじきに飽きてピアノを習いに行くのをやめてしまった。
小学校の音楽で木琴の授業があった。当時は木琴のケースの色は男子は青、女子は赤と決まっていて、私は姉のお下がりの赤い木琴を持って学校に通った。赤い木琴を持ってくる男子生徒は、私の他にはクラスにもう一人ぐらいしかいなかったと思う。
小学校の4年生で私は野球部に入った。そのとき私がはめていたグローブは、これまた姉のお下がりだった。なんでも体育の授業でソフトボールがあると聞いて、父が姉に買い与えたらしい。
中学に進んだ私は野球を続けたかったが、中学に野球部がなかったため仕方なくバドミントン部に入った。バドミントンを選んだ理由は、姉のお古のバドミントンラケットが家に転がっていたから。
別に父や姉に対する恨み節を書きたいのではない。それどころか、小さい頃の私は典型的な「お姉さんっ子」でいつも姉にべったりだったし、物を買ってくれない父に対する不満など微塵も感じていなかったと誓って言える。
小学6年生のとき、私は野球部でレギュラーの座をつかんだ。体が弱くて体育の成績は「2」が定番だった私が野球部でレギュラーになったことは私自身大きな驚きだったが、子煩悩なうえ野球好きだった父は、きっと手放しで喜んだに違いない。今どきの親なら子どもの野球の練習を見に来ることなど当たり前だろうが、当時、エースでもなければ4番でもない息子の野球の練習を見に来る親は、私の父だけだった。
私は初めサードのポジションを与えられた。しかし、どうしても一塁へ悪送球を放るため、大会前になってファーストへコンバートされた。しかし、ここで問題が起きる。ファーストミットを持っていないのだ。使っていたグローブは姉のお下がりで上等なものではなかった。
あるとき、見かねた顧問の先生に練習後に職員室へ呼ばれた。お前、ファーストミットはないのかと。きっと先生は親に買ってもらえと言いたかったに違いない。しかし、買ってもらえないことの分かっている私は、親にせがむこともしなかった。 先生はこう言ってくれた。体育倉庫に学校の備品のグローブがあるから、その中から一番大きくていいのを選んでこい。ファーストミットはないが、いまお前が使っているグローブよりはいくらかマシだろう。学校の備品だから本当は良くないことだが仕方ない。大会が終わるまで貸してやるから、その代わりしっかりオイルを塗って大事に使いなさい。
小学生の頃の私は学校であった出来事は何でも母に話していたので、このことも当然母に話したと思う。母に話せば当然父の耳にも入ったと思うが、結局父はファーストミットを買ってくれなかった。
厳格なまでに私に物を買い与えなかった父だが、かけがえのない素晴らしい贈り物をくれた。当時私が通っていた小学校は新設校だったせいか設備が十分整っていなかったようで、運動場に水飲み場がなかった。今では考えられないが、当時は練習中に水を飲むことは御法度で、夏の炎天下でも一滴の水分も補給せずに厳しい練習に耐えていた。練習が終わればグビグビ水を飲みたいところだが、水飲み場がない。あるのは地面に近い低い位置に下向きに付けられた散水用の蛇口1個だけで、一人ずつ順番に地面に這いつくばるようにしてそこから水を飲んだ。上級生から順番で、当時4年生で一番下手っぴの私は一番最後だった。部員は3学年で20-30人はいただろうか。いつも順番待ちが辛くてたまらなかった。
このことを私が母に話したと思う。母から父に伝わった。当時、父は水道工事店を営んでいた。あるとき、学校の運動場の一角で仕事着の父の姿を見かけてびっくりしたのを覚えている。私にファーストミットを買ってくれなかった父は、子どもたちみんなのために学校に水飲み場をつくってくれたのだった。
小学校を卒業して30年ほどが経ち、6年時の担任の先生が定年退官された折に初めてのクラス会が催された。集合場所は懐かしい小学校で、みんなで学校の中を見て回った。随分変わってしまった印象の学校の中にあって、水飲み場はそのままの姿で残っていた。いまどきの子どもがここで生水を飲むことはないかもしれないが、蛇口をひねるとちゃんと水が出た。
同窓生の一人が思いもよらない言葉をかけてきた。
「この水飲み場、お前の親父さんがつくってくれたんだよな」
野球部員でもなかったはずの彼が、そんなことを覚えてくれていた。たとえ一人でもそんな友がいたことに、思わず目頭が熱くなった。
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