何年か前に自宅を建て替えた。それまで親が建てた家に母と私たち夫婦で一緒に住んでいたが、なにげに受けた耐震診断の結果「天文学的数字」が出てしまい、なんの不自由もないと思っていた父の形見の家を、取り壊す決心をした。
現地建て替えのため、いったん仮住まいに引っ越す必要がある。引っ越しを済ませ、家財道具がなくなってガランとなった自宅に家族で戻ったときのこと。長年暮らした家との最後の別れを惜しみ、家の中を感傷に浸りながら見て回っていると、空っぽになった物入れの中に思いがけないものを見つけた。母に問いただすと、母はその存在を以前から知っていたが黙っていたと言う。バツが悪そうに口ごもる母から、根掘り葉掘りいきさつを聞き出した。
その昔、家を改築したときのこと。新しく出来た物入れの床を指差し、父が母にこう言った。
「俺が死んだらここを見ろ」
それからわずか数年後、父は思いもよらぬ大病に倒れ、結果7年に及ぶ闘病生活が始まる。父が残した事業の借金のため家族は大きな危機に陥り、歳ごろの娘と大学受験を控えた息子を抱え、母は眠れない夜を過ごした。
そんなある晩、母は藁をもすがる思いで行動を起こした。家族思いの父のこと、きっとあの場所にいくらかのヘソクリを隠しておいてくれたに違いない。今こそはそれを活かすとき。
娘と息子が寝静まった夜中、母はそっと物入れの戸を明け、そこに積まれているあれこれの箱や道具を一つひとつ丁寧に取り除いていった。期待と不安で胸を締め付けられるような思いで最後の一個をどけたあと ―― 再び一つずつ元通りに戻した。そのとき、きっと母は心からがっかりしたに違いない。
あれから30年近い歳月が流れ、あのとき母が見たのと同じものをいま私がそこに見て、隣にいる雅恵に誇らしげに私は言った。これが俺の親父だ。お前の知らない、俺にそっくりな自慢の親父だと。
空っぽになった物入れの床に敷かれた古新聞をどけると、床の上に赤いマジックで描かれた大きな落書き ―― それは父と母の名前だった。二人の名前が相合傘の中に入っていた。
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徘徊老人 (水曜日, 25 2月 2015 08:39)
良いお父さんです。うらやましい。