前回このブログで紹介した映画「僕はもうすぐ十一歳になる。」の神保慶政監督からメールを頂戴したので、ご本人の了解を得て、その全文を紹介する。
私が映画を観た感想を虫屋の立場からあれこれ書いたことに対して、つくり手の立場から制作の意図や撮影の裏話などをご披露いただいている。普通聞けない大変興味深い内容であるばかりか、監督の真摯な人柄のにじみ出たものとなっている。
これを読むと、きっとあなたも神保監督のファンになる。そう言う私はとっくにファンになっている。
(一部、個人の名前を伏せた以外は原文のまま。写真は神保慶政監督のオフィシャルサイトから転載。)
大岡様
ブログへの掲載ありがとうございます。
製作から約1年が経とうとしており自分でも忘れかけていましたが、クレジットに昆虫スーパーバイザーと記載されていたNさんという虫屋の女性の方(劇中で出てきた賞の記載のついた標本はNさんのものです)と内容を撮影直前まで議論しました。
また、撮影中も昆虫採集のシーンには立ち会ってもらっていました。
ブログを拝見して色々と思い出したので、裏話といいますか補足のためにいくつかお伝えいたします。
結果から言いますと、大岡様と同じような理由で、Nさんにも劇中の「昆虫少年」の描写には満足してもらえませんでした。
また、あの映画の内容では結局昆虫採集・標本製作に対する誤解がとけないのではとも指摘を受けました。
まず翔吾が昆虫採集を黙々としているシーンですが、撮影前のおそらく11月半ばくらいにNさんに指導を受けながらキャスト・スタッフで実際に昆虫採集に行きました。
彼は昆虫(標本は映画で初めてつくりました)・石・鳥・植物が好きで、すこしミステリアスな雰囲気のある子ですが、実際その時にもああして黙々と行動していたのでいつも昆虫採集を一人で(上記の彼の趣味はいつも一人で追求しているそうです)している時も
そうなのだろうと思い、それを再現したような形になります。
僕も小さい頃は友達とわいわい昆虫採集をした記憶がありますが、彼なりのリアルな昆虫採集の姿勢をそのままうつしました。
何かを発見したりするところを入れれば確かにもう少しいきいきとした描写になったかもしれませんが、後述致しますがそうしたシーンを入れると物語のフォーカスがずれてしまうため入れませんでした。
中盤のお父さんが捕虫網を持っているシーンに関してですが、このシーンはお父さんは最初何も持たず・せずに傍観しているというシーンで、昆虫採集の記録を失っているというのがシーンの目的でした。
ところが、映画では「ない」あるいは「〜していない」という状態をモノローグや説明なしで映像のみで示すのが難しいため、演技に加えて、持っていても無駄な捕虫網を持っているということで完全に採集を放棄しているということを予感させようとしました。
とても短いシーンですが、昆虫採集に関して知識がない人にも捕虫網という道具を通してお父さんの気持ちの一部を垣間見れるように必要な演出でした。
実際からすると不自然な、フィクショナルなシーンでして、リアルなことをご存知の方からすると大変不自然なことを承知であのようにしました。
また、どの程度昆虫にフォーカスするかも非常に悩みました。
舞台挨拶でお話ししたか忘れてしまいましたが、そもそも昆虫の世界を僕が再発見(昔は採集などしていて好きで、忘れてしまっていて、数年前あらためて魅力に気づきました)したのはもとをたどると原発事故がきっかけでした。
原発の後、放射性物質などに興味を持ち、ミクロな世界に興味を持ち分子生物学の本に行き当たりました。
ある本の著者の福岡伸一さんが大の昆虫好きで昆虫の世界を再発見し、「ルリボシカミキリの青」や「虫捕る子だけが生き残る」など福岡伸一さんや養老孟司さんの昆虫に関する著作を片っぱしから読みその小宇宙に圧倒されました。
(今はさらにミクロな量子力学に関する本を色々と読んでいます)
そして、いつも人間のそばにいながらも、忙しく日常を過ごしていると足を止めて見なければ通りすぎてしまう「昆虫」という存在に目を向ける少年を描くことによって、3.11後の日本にこそ必要な想像力の方向性を描ければと考え脚本を書きました。
脚本を書いている時にどれくらい昆虫にフォーカスするかとても悩みました。
というのも、あまり昆虫にフォーカスしすぎると、死生観や「一歩立ち止まる」というポイントが薄れてしまうからです。
鱗粉の美しさ、卵の造形美など描きたいポイントはたくさんありましたが、「昆虫」がテーマの映画ではなく、「死生観」や「一歩立ち止まって、自分にとって大事なものに向き合う」というテーマの映画にしようと考えていたため、昆虫スーパーバイザーのNさんにも最後まで脚本は納得はしてもらえませんでした。
しかし、僕にとってもそのメインテーマというのは譲れないポイントで、論点をずらすわけにはいきませんでした。
冒頭に書かせて頂いた、昆虫採集・標本製作に対する誤解がとけないのではという点ですが、この点に関しては、今まで色々な場所で上映をして虫が好きな方・嫌いな方どちらもたくさんお話してきましたが、ご心配頂く必要はないかと思います。
昆虫を大嫌いな人が虫好きになる、ということはありませんが、お話しした虫嫌いの方の多くも「昆虫」という存在を再考されていました。
ある昆虫嫌いのお客さんとはジャポニカ学習帳の表紙から昆虫がなくなったということについて話しました。
タイムリーにも上映中にもこんなニュースがありました。
「ジャポニカ学習帳から昆虫が消えた 教師ら「不快」→苦渋の決断」
http://withnews.jp/article/f0141127002qq000000000000000W00o0201qq000011196A#
他のあるお客さんは昆虫少年の映画とは知らずに映画を見に来てお子さんがいらっしゃる方でしたが、お子さんが昆虫をつかまえてきて自分は昆虫が嫌いだったので注意して昆虫を家に持って入らないようにいっていたそうですが、この映画を見てそうした自分の態度は誤りで、子どもの興味を優先するようにいいかたを考えようと思ったとおっしゃっていました。
長々と書いてしまい申し訳ありません。
死生観という正解のテーマを描いた結果として、見た方から毎回それぞれ驚くほど違った感想をお聞きすることができ、僕は映画を見せる側の立場ですが逆に皆さんの感想から色んな世界を見せてもらっています。
今回の名古屋上映もそうでしたが、上映を通して人一人ひとりというのはここまで考え方が違うのかと上映の度に思いました。
作り手にとって賛成意見だけでなく反対意見というのは非常に重要で(そもそも反対意見は言われないままのほうが多いので)、大岡様のご感想を頂けたことを大変感謝しています。
お忙しい中映画を見に来て下さり本当にありがとうございました!
神保
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